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今日は朝から晩まで忙しかった。サンスクリット語の授業も始まったし。「王は100頭の象の前で怯えて、征服できず、ズボンはいったまま、ウンコしてしまった」ていう例文もサンスクリット語に訳した。これは役に立つよ! Stock market report at the end of the world: The Tao remains the same... #
by adam_kankeri
| 2004-09-30 23:06
昨日、もりおと貴船神社へ行って、カンケリ極秘の練習をおこなった。バイクで鞍馬の方へ向かった。川床でくつろいだ人達が多かった。僕も川床で食べたかったけど、「こんぶ」としか言えなかった。北の方へ行って、車とかバスの通りが多い橋で三時間ぐらい練習した。そのあと、冷たい川に入って汗を流した。修行の様子を撮れた写真はあるけど、なぜかしらんがパソコンに送れない。残念無念。
オーケー! edit:写真は送れたから、貼ります! #
by adam_kankeri
| 2004-08-13 00:11
以下の文書は仏教の「無我説」とウパニシャッド哲学に関する文書です。興味のある方、 読んでください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「我」―原始仏教とウパニシャッド哲学の見解 「無我」説が仏教教理を特徴づける基礎的なもののひとつであることは、ほとんど常識として受け取られている。しかし、「無我」説は非常に誤解されやすいものであると指摘する仏教学者が多くいる。「我・アートマン・ātman」はインド哲学や仏教において、様々な意味をもち、ウパニシャッド思想では万有の根源・内なる真我などの意で使われていて、原始仏教では自身・自己などの意に用いられていた。次第に原始仏教の「我」に対する見解は、「我」自体の存在を否定する「無我」説と“「我」ならざるものを「我」とみない”という「非我」説とに分かれ、初期仏教以来、「我」の存否をめぐる論争が展開した。 この「非我説」の見解を代表する人は中村元博士である。中村元博士は従来の仏教教理の見解に否定的な立場を取り、「無我説」や「縁起説」が仏教を特徴づけるものであるという考え方を否定した。この文書で「仏教は無我説を説く」あるいは「仏教は非我説を説く」と主張する学者の見解に触れながら、原始仏教とウパニシャッド思想における「我」の観念の共通点と相違点を明確にしたい。 まず本題に入る前に、ウパニシャッド哲学と原始仏教とはどういうものであるかを説明する。インド哲学界と宗教界が非常に古く広いので、簡潔にまとめることはかなり難しいのである。しかるに、この文書で部派仏教や大乗仏教に触れる余裕がないので、原始仏教とウパニシャッド哲学に限って説明することにする。 アーリヤ人がおおよそ紀元前二千年ごろにインドに入り、先住民を征服し、次第にインド各地を支配した。アーリヤ人はヴェーダと称する宗教哲学書をととのえ、このヴェーダ文献の末尾をなすところをウパニシャッドという。ヴェーダの宗教は多神教であり、自然神に捧げた賛美からはじまって段々と祭式中心から人間の問題へと展開した。現存するウパニシャッドは十七種であるが、ここにも新旧の区別があり、三つの時期に分けられる: ・「初期」古ウパニシャッド(仏教興起以前に成立したと推定されている) ・「中期」韻文ウパニシャッド(紀元前三五〇~前二〇〇年ごろに成立したと推定されている) ・「後期」新散文ウパニシャッド(紀元後二〇〇年ごろまで下り得るとされる) 初期から後期まで五〇〇年以上も隔たっている。内容から見てもウパニシャッド思想体系はきわめて多様で、ときに矛盾している部分もある。しかし概してウパニシャッド思想の全体から見ればウパニシャッドは、我(普遍我・個体原理・個人の内奥に秘められた真の自己たるアートマン)と梵(真理・万有の根源たる絶対者ブラフマン)の「梵我一如」という教えを説く。すなわち、自らの内にブラフマン(真理)を修行によって知覚することを目指す。このようなウパニシャッドの神秘的一元思想は後のインド思想界に大きな影響を及ぼした。 原始仏教は通常、仏教興起から部派仏教までの時期を指す。この時代の初期の経典は阿含経とパーリ語ニカーヤである。阿含経は漢訳の経典を指し、ニカーヤはパーリ語で書かれた経典を指す。そのパーリ語ニカーヤは経典の長短を基準に編纂され、五部からなる: 1.長部(Dīgha nikāya) 2.中部 (Majjhima nikāya) 3.相応部 (Samyutta nikāya) 4.増一部 (Anguttara nikāya) 5.小部 (Khuddaka nikāya) 内容から見れば、仏教の初期経典は、「我は存在しない」あるいは「我は存在する」などの形而上学的な見解を避け、日常的実践的な立場から「我」という問題に取り組む。 「無我説」ではなく、「非我説」である 中村 元・櫻部 建・丸井 浩の見解 中村 元の見解 中村博士は基本的に宗教に対して、一元論的な見解、つまり「真理」が一つであって、諸々の宗教がそれに対する異なった説明(言葉)にすぎないということを主張する。しかるに、仏教に対しても、無「教義」、無「教説」、無「立場」、無「哲学」という否定的な立場を取る。 博士の説明によると、仏教に見られる「我」は1.倫理的主体・確立されるべきものとしての自己と2.煩悩になずむ克服されるべきものとしての自己という「二つの自己」を意味する。博士は初期仏教の韻文経典を最古層と見なす意見を示し、我「アートマンātman」に対して、韻文経典が肯定的で散文経典がだいたい否定的であることを指摘する。仏陀の教えに最も近い経典は韻文経典であり、初期仏教の韻文経典においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認していると博士は主張する。したがって、仏教は「無我説」ではなく、「非我説」であると断言する。 初期仏教において、アートマンという語は「自身」・「自己」の意に用いられたが、それは精神作用の意味をも含めた。自己の身体・家族・財産・地位などは、自己にとって最も大切なものであり、しばしばアートマンであるかのごとくに誤り解せられる。しかしそれらのアートマンではありえない。この「一切の所有を捨て去るという思想」はウパニシャッド哲学においても特に強調されている。したがってこの限りにおいては、仏教と異なっていないと中村博士は指摘する。 しかし、ウパニシャッドにおける「我」は形而上学的実体視しているのに対して、原始仏教における「我」は実践的教説としての性格が強い。ウパニシャッド思想によると、名称と形態とは、アートマンの世界開展の結果現われ出たものであり、アートマン自体とは異なったものである。仏教はその思想を排斥した。博士は、その形而上学的な点に関して、仏教とウパニシャッド哲学の相違がはっきり見えると主張する。 丸井 浩 無我説は元来、身体とか財産、妻子親族や、自己の主張などを「わがもの」と見なし執着を起こすことを意味した。その我執からの解放を目指す点に関して、ウパニシャッドと原始仏教は一致する。丸井先生は「自己変革」という語を用い、ウパニシャッド思想と原始仏教の思想はその「自己変革」の点に関して同様であることを指摘する。つまり、原始仏教とウパニシャッド思想の「アートマン」観は、普遍的な我の知覚のもとで自我意識は滅却し、現実的日常的自己が、理想的規範的自己に転ずるという点で一致する。しかし、我に関して、ウパニシャッド思想と仏教のとりあげられる次元が異なっている。「自己変革」の点で共通しているとはいえ、仏教はウパニシャッド思想の我に対する形而上学的な見解を拒否する。 櫻部 建 初期仏教では、けっして「アートマンが存在しない」と説いてはいない。仏陀はウパニシャッド的アートマンを否定したのではない。逆に、人が「誤ってアートマンでないものをアートマンであると思い込むことを否定しながら、間接的にそれを肯定したのであると櫻部は主張する。櫻部先生によると、「無我説(非我説)」は自身に対する誤った見方を捨てるという意味で経典に用いられた。さらに、櫻部先生は韻文経典に見られる「我」に関する詩句をいくつかとりあげる: ・我の確立。「自己が確立された聖者は梭のようにまっすぐに進む。」(Suttanipāta) ・我のよりどころ。「自己をよりどころとして世間を歩みゆく人々は、何ものをももたず、あらゆることにおいて解き放たれている」(Suttanipāta) ・我の護り。「人は「我」よりいとしいものを知らない」(Samyutta nikāya) ・我の利。「自利をよく知り、おのが利に専らなれ」(Dhammapada) ・我に対する害。「愚者は富に対する渇愛によって、他を害するごとく自己を害する」(Dhammapada) ・我の浄化。「賢者は欲を捨てて、何ものをももたず、心の穢れから離れて自己を浄むべきである」(Dhammapada) ・我の制御。「自らに勝つのは他に勝つよりも優る。それは戦場の勝利にまさる最高の勝利である」(Dhammapada) 「非我説」ではなく、「無我説」である 松本 史朗の見解 松本 史朗 松本先生は中村博士の「韻文が散文よりも、より釈尊の思想に一致する」という見解に同調できないという。松本先生によると、釈尊の説法と韻文経典との間に歴史的な距離が存在するから、韻文経典が散文経典より釈尊の教えに近いと断言することに問題がある。松本先生も仏教は苦行主義を否定したと言い、したがって「スッタニパータ」に説かれる思想は仏教思想ではなく、ジャイナ教的な思想である、つまりそれは苦行文学の一種であると主張する。 中村博士の「仏教は無立場・無教義」という見解に対して、松本先生は縁起説が仏教の革命的な教えであり、仏教を非仏教から区別できるものであると指摘する。縁起説から見れば、十二因縁の原因なるものはウパニシャッド的なアートマンではなく、「無明」であるから、縁起説はウパニシャッド的なアートマンの一元論を根本的に否定すると松本先生は主張する。 ------------------------------------- インドでは、古くから様々な形でインド思想全般を貫く輪廻・業・解脱の考え方があった。釈尊はそれらの従来の輪廻や業の教説を完全に否定せず、いくつかの部分を取り入れて弟子たちに教えたことが事実である。しかし、その原始仏教における「我」の見解は従来のインド思想、ウパニシャッド思想などと一致している点があるとはいえ、仏教は「我」の問題に対して、独自の見解を説いた。 「我が物という観念を捨てる・我ならざるもの(所有物)を我とみない」などの我執からの解放に関して、原始仏教とウパニシャッド思想は一致すると私は思う。そして、「普遍我の覚知のもとで自我意識は滅却する」という点についても、仏教とウパニシャッド思想の実践上の目的には大差がないと考える。 しかし、丸井先生の「仏教とウパニシャッド哲学の「我」に対する見解はとりあげられる次元が異なっている」という発言は非常に的確であると私は感じる。原始仏教はあくまでも実践的で、形而上学的な問題に対して沈黙を守る。この点に関しては、ウパニシャッド思想との相違がはっきり見えるのではないだろうか。 #
by adam_kankeri
| 2004-08-08 11:57
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by adam_kankeri
| 2004-07-18 17:20
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